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一、コロナ・パンデミックからの学び




ー 日本語版開始のきっかけ ー



僕がブログを始めるなどとは、考えてもみなかった。


2020年2月、翌月に博士課程を終えるという時、僕はカナダ・トロント大学のポスドク研究員の求人に応募し、期待を膨らませていた。当時、コロナウィルスは中国から国外へ伝わり始めていたし、多少危惧もしていたが、まさかパンデミックになるとは思っていなかった。感染予防のため卒業式が略式となり、マスコミが伝える社会の状況が深刻さを増す中、トロント大の担当者と連絡がとれなくなっていった。ポスドク採用の検討どころではなくなってしまう何かが先方に起きたのかも知れない。


3月に入り事態が深刻化するなか、各国は国境を閉じ、カナダ行きの雲行きは怪しくなっていった。貯金のない自分としては、まず仕事をみつけなくてはならない。僕は民泊行政の研究で博士号を取ったところだから、話は早い。Airbnbに当たってみれば良い。LinkedInの求人広告を見ると、Airbnbによる公共政策担当者の募集情報があった。今、自分は世界でこの分野に最も詳しい人間の一人である。「誂え向き」とはこのことだと思った。


応募後数日して、同社の担当者から次のようなメールがあった。


Hi Norikazu,

Thank you for your interest in the here at Airbnb. We’ve received your application and it looks like you have some great qualifications and experience; however, the talent search for this position is currently on hold. If we decide to reopen the search in the future, someone from our recruiting team will be in touch.


内容を要約すると、僕は応募者として優れた適正を持っているが、今回の募集は保留となり、将来のことはまだわからない、という。


当然だ。コロナ騒動で観光業が甚大な損失を被っている時である。通常業務のために新たに人を雇うモチベーションなど、ある筈がない。それ以降、僕はLinkedInのプレミアム会員に1ヵ月間の無料登録をし、データ分析系の求人に手当たり次第に応募していった。


どこからもオファーが来ない。数十件の応募を行ったのに、面接まで到達することは一件もなく、落ち込むというより奇異に感じた。そして不思議なことに、僕の応募が却下された求人広告が、ある程度時間が経つと、全く同じ内容で新たに掲載されるのだ。それも一件や二件ではなく、数多く。それらの企業が労働市場へどうアプローチするのかについては何の知識も持っておらず、また負け惜しみのように聞こえてしまうかもしれないが、もしかしたら「パンデミック中でも我が社は採用してます」というジェスチャーなのだろうか?


とにかく仕事がない。大学院へ行く用もない。やることがない。それで始めたのがこのブログ、The Metrician(計量士)だ。これまで培ったデータ分析の手法や新たに学んでいる事柄、特にプログラミングに関して、世界の初学者に向けて情報発信している。暇を持て余すくらいなら、今までにないくらい物事を学習して、自他に役立つようなアウトプットを残そう、そう決意したからである。それで最近はフランス語も学んでいる。


そして今夜、テレビのニュースを見ていた時だった。このページの冒頭に掲げた母子の姿を目撃したのは。情報の元はこのニュース記事(動画あり)だが、母親であるトルコのコカクさんは、コロナウィルスの感染に苦しむ人々のために医療従事者として働き、1ヵ月間、6歳の娘であるオイクちゃんと離れて暮らしていたという。動画は2人の感動的な再開の場面を、オイクちゃんの祖母が撮影したものである。


僕は、世界中の医療従事者たちの献身的な姿勢に心を打たれてきたが、この映像を見た時、心を貫かれたような感覚を覚えた。それには次のような経緯が関係している。


2011年春と聞けば、現在、日本人のほとんどは東日本大震災や原発事故を思い浮かべるだろう。僕でさえ、そうなのだから。というのは、その当時、僕は米国カリフォルニア州のサンフランシスコに留学しており、震災やその経済的影響を体感していない。ある晩、現地でとても仲良くなった友人の家で「日本の漫画で最もセクシーな女性キャラクター・トップ10」という”くだらない”Youtube動画を一緒に観ていた(因みに、1位は「ルパン三世」の峰不二子だった)ところ、友人へ彼の母親から電話が入った。深刻そうな会話の後、通話を切った友人は、血相を変えてテレビのリモコンを握った。


「今、母さんから聞いたんだけど、日本でめちゃくちゃデカい地震があったって。日本に住んでるあんたの友達は大丈夫なのかしら、って。」


CNNにチャンネルが廻った瞬間、僕らは目を疑った。画面には、漆黒に染まった津波が家々を押しのけ田畑を飲み込んでいく様が映し出されていたのである。その後、確か千葉県市川市であったと記憶しているが、巨大なガスタンクが地震の影響で爆発、炎上している様子が報じられたのであった。


あっけにとられた僕たちだったが、やがてテレビのスイッチを切り、自分がどれほどの衝撃を受けたのかを表現し続けた。自分たちが得た情報を処理するために。


その後のことはよく覚えていない。千葉県にいる家族に連絡を取ろうとして、取れたのだったか、取れなかったのだか……。覚えていない理由はただ一つ。本当は認めたくないが、実際のところ、当時サンフランシスコにいた自分は、あれを他人事として受け止めていたのだ。親兄弟や特に親しい友人、恩師などと連絡がとれた瞬間、僕は震災のことを考えなくなっていった。平日は大学院での勉強に専念し、週末は友人たちと繁華街へ出かけて行った。久しぶりに会う友人や見知らぬ人々に会う度、「え、日本から来たの?家族大丈夫?」と聞かれたが、「ああ、お陰様で大丈夫、大丈夫」と答えて平然としていた。


帰国したのは夏が始まるころであったが、実家がある千葉県の各種インフラは、最早通常通りに機能しており、目に見える震災の影響は皆無だった。だから、僕は東日本大震災を素通りしてしまったのである。それで、人々が3.11.について特別な想いを込めて語る度、彼らと心の底から共感できないことに、なんとなく苦々しさを感じていた。


そんな僕でも、あの震災に関わることで感涙させられたことがある。それは時が経って2017年の8月に、大学院博士課程の演習で、最も甚大な被害を受けた被災地の一つ、岩手県大槌町を訪ねた時のことだ。地元のNPOである「おらが大槌夢広場」による協力の下、若干の教職員や留学生数名と共に、復興の様子を視察しながら被災者の方々へインタビューを行って、望ましい復興の在り方について研究するプロジェクトだった。一週間以上に及ぶ滞在の中で、地域コミュニティの様々なリーダー十数名を訪ねたが、津波に呑まれた町を林業によって復興させようと奮闘している「吉里吉里国」の創立者・芳賀正彦さんのお話を伺っている時、僕は涙を堪えられなかった。人間の「生活」とは何かの真髄に触れたから、だと思う。芳賀さんのお話にはそういう力があった。


このような経験をしつつも、やがて学業に追われるうちに、大槌で得た、日常生活に対するあの非日常的に鋭敏な感覚は薄れていった。秋を過ぎて卒業の目途が立ってくると、今度は将来のことを考え始める。「様々な次元において豊かな生涯を謳歌できるようにするため、まずは今後の世界情勢の見通しを立て、それに適応していこう。そのためには住む場所も職業も柔軟に調節していこう。」


まず目についたのは、米国と中国の経済戦争である。「日本経済は両大国の間に挟まれているから、不確定性が高い。Youtubeで『チャンネル桜』の討論番組、幸福実現党党員・及川幸久氏のチャンネル、オリーブの木代表・黒川敦彦氏のチャンネル、そして『歴史未来ラボ』などの優良なコンテンツを観て各識者の予想を総合する限り、日本の状況は非常に危機的だ。特に中国の『超限戦』が佳境を迎える中で米国が『オフショア戦略』を取り始めたらしい今、ただでさえ超高齢化と国際競争力の低下、そして小泉政権以来の外資化に翻弄されている日本は、冗談抜きで滅びる可能性がある。自分は海外でも生きていけるんだから、脱出しよう。どこがいいか……カナダだ。カナダなら家族を連れて永住権を取れるし、人々も他の欧米諸国より礼節を弁えているから、過ごし易いだろう。オーストラリアは元々人種差別が著しかったり、最近は山火事があったりしてリスクがあるし、ニュージーランドよりは都会に住みたいかな……イギリスは意外と馴染みが薄いし。よし、カナダに行こう。」冒頭で述べたトロント大のポスドクへの応募は、純粋に学問的な関心を持っていたのは確かだが、深層心理で僕を突き動かしていたのは生存本能だった。


それがコロナ騒動で白紙に戻った。そして将来のことは置いておき、とりあえず今できることに専念して全力で生きようと思って過ごしてきた中で、例のトルコの母子のニュースに出逢ったのだった。今思い返せば、あの二人が抱擁する情景には、大槌町でお話をいただいた芳賀さんの姿と重なるものがある。


コカクさんは、可愛い盛りの娘を残して、感染症と奮闘しつづけた。カナダ行きを考えていた頃の自分には、思いもよらないことだったに違いない。自分が医療従事者なら、真っ先に転職していたかもしれない。少なくとも、自分はそういう考え方をこれまで心の奥底に持っていた。


だが、もうそれも辞めよう、とニュースを観た数時間後の夜中に散歩をしながら自然に思った。人間の生活というものは、そんなもんじゃない。ドラマではお決まりの発想だし、頭ではわかっていたし、時々はそういう気分になることもあったが、今回は一過性の台風のような情動ではなく、まるで自分が空腹であることに気づいたかのように、ただはっきりと自覚したのだ。これからは地域と、人々と生きていくんだ、そう思った。


このブログの日本語版では、こういう気づきを得た僕の今後の歩みを記録していこうと思う。これまで卓越した恩師や素晴らしい友人たちと関わる中で、様々なことを学び、英語でも多少気の利いた文章を書くことができるようになり、この恩恵をこれからも活かしていきたいと思うが、今この文章を書いて改めて痛感しているのは、やはり自分は日本人であり、日本語こそが僕の母語だということだ。色々な理屈を捏ねて議論をしたり、冗談を交えて面白おかしく話をしたり、人生哲学を深く語ったりすることは英語でもできるが、自分の、いわゆる「魂」の中にのみ見出されるような本音中の本音の吐露においては、やはり日本語を介したほうが真実味を自分で実感できる。だから、様々な考察については、世界中の人々に向ける意味でも英語で発信していくが、自身の歩みの記録については、この日本語版で続けていこうと思う。


世の中には立派な人々がたくさんいる。上で取り上げたYoutubeチャンネルの運営者・出演者たちなどは特に立派だと思う。ご本人たちにそう言えばきっと謙遜されるだろうし、僕の知らない面も多くお持ちだと思うが、それを勘定に入れても、話を聞いていて、彼らは立派な人々であると僕は思う。だからこれからも多くの人々が彼らの話を聞くだろう。


そんな中で僕がこのようなブログを綴るのは、もしも「泥の中から蓮が生え出る」様をお伝えできれば、皆さんにとって参考になるかもしれないと考えるからです。どのくらいの頻度での更新になるかわかりませんが、是非お付き合いください。


ドイツ政府やハーバード大の研究者らによれば、パンデミックは2年ほど続くと見込まれていますが、どうかお健やかに。


それでは。

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